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「…?」 口元を歪めていたが、ピクリと反応して笑うのを止めた。 直後、鋭い視線でを射抜きその視線には思わず息を詰める。 を見つめる中、は不意にその首元に目が向いた。 白い首筋に埋め込まれている十字の紋様。 黒いその十字は、の肌を侵食していた。 ビキビキと筋を浮き上がらせ、まるで脈打つかのように肌を紫色へと変色させている。 いったい何が起こっているのか、が呆然とその様を見ていると、が目掛けて刃物を振りかぶった。 「っ!」 慌てて避けると、刃物――刃渡り50センチはあろうかという刀はぐさりと雪に突き刺さる。 『嘘つき』 「…?」 『嘘つき…!嘘つき!』 豹変したかのようには刀を振り回した。 滅茶苦茶に動かしているようだが、を確実に狙っている。 「やめて、っ」 『お前さえいなければ…お前さえいなければ!』 「っっ」 『殺してやる!』 どれだけその攻防が続いただろうか。 は体力の限界と精神的な疲弊が相俟って、雪に足を取られ転んだ。 がそれを見逃すはずもなく、馬乗りになってを捉える。 「やめ、」 『何故、彼を』 「…っ」 『何故瑳神さまをっ!』 片手での咽を捉え、握りつぶすかのように力をこめる。 その強さに反して、の首元のイノセンスは更に浸食を進めている。 を飲み込もうというのだろうか。紫色から更に黒へと変色した肌は頬へと迫っていた。 「何を、いって…」 『何故瑳神様なの?』 「…?」 『何故彼があなたの婚約者なの…』 掠れそうになる意識の中、はいつしかが「好きな人が出来た」と報告してきたのを思い出していた。 花緑青の着物の似合う人。碧の事を考えたが、その考えは直ぐにないと掻き消した。 当然だ。彼は両親がへと勧めた縁談相手。 ならば屋敷中の噂になっているのは当然だと思ったからだ。 しかしこのの様子からして、恐らくは碧が相手だというのを、もしかしたらが縁談をしているということ事態は知らなかったのではないだろうか。 「違うの、…」 『いっそあなたに盗られるくらいなら…』 「…ぐ」 『殺してやろうと思ったの』 の目がぎらりと輝く。 泣いているのだろうか。 頬に落ちてきた雫を辿ってみたが、は涙などしていなかった。 『でも…殺したら、彼は動かなくなってしまった…』 「っ」 『だからお願いしたの、生き返らせて下さいって』 ビキ、と十字の紋様がまたしても侵食を進めている。 その度に腕に込められる力が強くなっていき、の意識は既に薄れかけていた。 『彼は生き返ってくれた。そして、わたしと一つになったのよ』 何を言っているのか分からなかった。 ただ分かったのは、が碧を殺してしまったという事。 は、湧き上がる憎しみにの腕を掴んだ。 ぎちぎちと締まるの手を必死に引き剥がそうとする。 『いま彼はわたしの中で生きてるの…ほら、感じる?』 「ぐっあ」 の手が更にの首へと食い込んでいく。 もうダメかもしれない、そう思った時だった。 「チッ、手遅れだったか…」 一瞬、燃え盛る炎かと思った。 だがちゃんと視界に捉えると、それは一人の男で、炎とは違う赤い髪をしているだけだった。 黒い服に十字の装飾品を下げ、片手には手に余るほどの銃を持っている。 「んー?」 男は暢気な様子でこちらを見やった。 こちらと言うよりもだけを見つめているようにも思える。 煙草を咥えたまま紫煙をくゆらせるその男の顔をマジマジと見つめて驚いた。 日本人離れした顔と、顔半分を覆う仮面、そして強い視線に思わず目を奪われる。 美しさを感じると共に、この状況でも平静でいられることに少しばかり恐怖心を抱いた。 「おい 「っ…」 にや、と男の口角が持ち上がる。 意識も途絶えそうな、むしろこんな殺されかけているこの状況で、何故男は声を掛けてくるのか。 どうして助けてくれないのか。 そんな事を考えながら男を見やる。 「助かりたいか?」 『男、お前何者だ』 「どうした?声が出ないか?」 『邪魔をするならお前から殺してやる』 「どうだって聞いてんだよ。そのまま死ぬのか?」 『黙れ!』 が持っていた刀を男に向かって投げる。 が、男は長い服の裾を翻しただけで刀を叩き落してしまった。 「…ない」 「聞こえねぇな」 「死にたく…ないっ」 「そうか」 ガゥン―― 男が放った銃弾はを直撃したかのように思えたが、の上から離れたは何でもないような様子で傍らに飛び退いただけだった。 咳き込んで起き上がったの傍らに、男が何かを放り投げる。 見るとそれは先程が投げた刀であった。 ギラギラと鋭利に光るそれを呆然と見つめていると、男が「取れ」と言う。 「な、に…」 「それを取ってアイツを殺せと言ってんだ」 男を見上げれば、何食わぬ顔で煙草を吸っていた。 持っていた銃もいつの間にかなくなっており、戦意喪失というよりも戦う気など最初からなかった事が分かった。 「どうして助けてくれないのかって顔をしてるな?」 「……」 「オレは別にお前を助けに来た訳じゃない。お前等が 「ターゲット…」 「お前が殺さなければオレが殺すだけの話だ。好きな方を選べ」 男はその後もまったく動じた様子も見せずただ目の前の燃え行く屋敷を見ていただけだった。 はもう一度男と刀を見比べる。 自分がやるか、男がやるか。 どちらにせよ、それはの死は避けられないという事だけは分かる。 愛しい我が妹。 けれど憎い女。 家族の命を奪い、そして愛しい人を奪った張本人。 はゆっくりと立ち上がった。 その手には握りたくもない、重たい刃物が握られている。 その後の事はあまりよく覚えていない。 気が付けば、自分の持つ刀はの胸を貫いていて、彼女の手はの首を抉っていた。 肉が剥ぎ取られるような感覚なのに、不思議と痛みは感じなかった。 どうしてだろう。怪我よりも、胸が酷く痛むんだ。 『何故、泣くの』 「が死んでしまうから…」 『何故、あなたが泣くの…』 「私が殺してしまったから…」 辺りはとても穏やかとも言えるほど静寂だった。 雪は静かに降り積もり、相反するように炎は勢いを増してゆく。 が脈打つ度に刃を伝って血が流れ落ちる。 の手を染めて、白い雪の上に赤い華を散らせていく。 『お姉ちゃん…』 「……」 『あなたが、憎い』 「……」 『憎くて憎くて堪らない』 「……」 『――――』 それは呪いだったのかもしれない。 が自分の首元からソレを引き千切ると、弱弱しい手付きでソレをの首の傷に埋め込んだ。 逃げる事も避ける事も出来たのに、それが出来なかったのは腰が抜けていたからでも慈悲でもなかった。 それは自分への戒め。自分の行った事への罰。 ――あなたを決して赦さない―― 声無き声は無音の反響を伴って消えた。 崩れ落ちた彼女を抱き締めれば、まだ温かかった。 「一生憎んで。私を赦さないで」 そうする事であなたの気が安らぐのなら そうする事であなたへの罪滅ぼしが出来るのなら 私が全てを背負っていくから |
| 闇と光、安らぎの仄か |
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それから、はクロス・マリアンと名乗った男と共に日本を出る事になった。 そしてブレスレットと、首に埋め込まれたものがイノセンスと知り、エクソシストになる事を生きる糧にした。 後に知らされた事なのだが、はアクマというものになってしまったのだという。 碧を殺し、千年伯爵によって甦った碧はの皮を被ったはずだった。 ところがの憎悪は碧の思念よりも強く、碧の意識をコントロールし自らに取り込んでしまったのだそうだ。 (これは異例なことなのだと師匠から聞いた) 更にアクマになった事によりイノセンスのシンクロ率はマイナスとなり咎落ち化を始めていた。 前々から咎落ちになりやすい傾向にあったという事をクロスは知っていて、日本に滞在していたのだそうだ。 放っておいても24時間で死ぬ運命だったを、この手で救ったと思えばいい。 クロスはそう言ってを改めて人間らしく育ててくれた。 そうして笑うようになったを見て、教団へ送る事を決意した。 ← † → ここでクロス登場って訳で、ヒロインがエクソシストになった理由とクロスとの初めての出会い。 どうしてヒロインのイノセンスが2つなのか。それがどのような経緯でヒロインのものになったのかがようやく明かせました。 次回より過去から現実に戻ります! 2009/06/01 |