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「え?が戻っていない?」 冬。陽が落ちるのも早くなり、夕食の頃には辺りはとっぷりと闇色に染まっていた。 食事の時だけは同席を許してもらえるその場所に、の姿はなく慌てて入ってきた使いの者が妙に慌てた口振りでがお昼を過ぎた辺りからいない事を告げる。 両親は慌しく部屋を出てゆき、屋敷中の人間を動員して捜索に当たらせた。 ぽつんと食事の席に残されたはゆっくりと席を立つと、外へ出て空を見上げる。 嫌な予感がする。 そんな予兆を掻き立てるかのように空は夜の帳とはまた違った闇の色をしていた。 雨雲なのだろうか。吐き出した白い息は黒い雲によく映える。 「…」 ぞわりと肌が際立つ。 名前を呟いただけなのに、その悪寒は心音を早くさせる。 いったいどういう事なのか。 は番傘を手に取ると、雨も降り出しそうな寒空の下へと飛び出していった。 |
| 闇と光、安らぎの仄か |
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「っ!!!」 小さな街なのに、今日はこんな曇り空だからなのか、辺りはシンと静まり返っていた。 胸の中を掻き乱すかのように木々がざわめき、まるで嵐の前兆のようにも感じた。 そのうちポツリポツリと地面に雨が落ちてきた。 傘を広げると同時に、視界を奪うかのような豪雨が降り注いだ。 足元に跳ね返る雨水は冷たく、下駄を履いた足は悴んで赤くなっている。 「っ!」 依然静まり返ったままの街中に、大きな屋敷を発見した。 家に次ぐ名家で、名を知らぬものは当然ない。 「瑳神」と書かれた表札を横目に中へ入り込む。 「碧さん!碧さんっ!」 ドンドンと戸を叩くが、応答がない。 応答がないどころか部屋に明かりはなく、人気がないようにも思える。 こんな時分に揃って留守とは考えられない。 ましてやこれだけの屋敷ならば使用人の1人や2人いるのは当たり前だ。 にも関わらず、もぬけの殻なのか中からは何も感じない。 「碧さ、」 戸に手をかけると、それはあっさりと横にスライドした。 カララ、とこの緊迫した空気に間抜けなノイズが入る。 は怪訝に思いながらも引き戸を開けると、「御免下さい」と声を漏らした。 中に入って最初に感じたのは、何やら異臭が漂っている事だった。 薄暗い屋敷の中には微かに明かりが灯っている。 心許ないその僅かな明かりを頼りに辺りをぐるりと見渡してみる。 「誰か…」 どうしてこの屋敷はこんなに静かなのだろうか。 自分の耳元で心臓の音が聞こえるような錯覚を抱きながら、慎重に歩を進めていくと、半開きになっている障子が見えた。 長い廊下を障子が永遠に続いている。 大部屋なのだろうか、と訝しみながら部屋を覗いて―― 絶句した。 「な、」 明かりに照らされてぬらぬらと光るその色は、着物の色よりも赤く鮮明だった。 薄っすらと鈍く輝くことから、それがまだ乾ききっていない新しいものである事を知る。 床、壁、障子にまで、辺り一面を覆い尽くすのは鮮血であった。 まるで地獄絵図を目の前で実際に広げられているかのような錯覚さえする。 直後、はその部屋から転がるように出て湧き上がる吐き気に必死に耐え忍んだ。 「かは…っ、は、はぁ…」 胃を押し上げるような感覚をはっきりと感じる。 口元を押さえながらも、生理的に零れ落ちた涙は止まらない。 幼く、初めて目の当たりにした人間の成れ果ての姿はには堪えられぬ光景であった。 「ぐっ、」 涙を拭きながらもは唇を食いしばり立ち上がると、一目散に駆け出した。 足元でベチャという音がして、血を踏んだ事が分かる。 だがそれどころではない。 碧、ただ1人を探しては走り回る。 「碧…さん」 搾り出した声は静かな屋敷に響いた。 けれど屋敷から人の気配はまったく感じられない。 もしかして外に逃れたのだろうか、もしくは…。 その先を考えて 一度屋敷を出よう。 そう考えたは屋敷を出た。 これだけの殺害があったのだ。街の人も気付いているはず。 大人の助けがあれば、碧だって見つかる。 もしかしたらだってこの騒ぎに巻き込まれたのかもしれない。 だとすれば尚更大人の手助けは必要だった。 外に出ると、先程までの雨は豪雪に変わっていた。 いつの間に積もったのか地面は薄っすらと白くなっている。 その白い地面に、点々と残されている赤い染みを見つけた。 近寄ってみるとそれは血を垂らしたかのような赤黒い染みで、その直ぐ側を足跡のような形が残っている事に気が付いた。 それは真っ直ぐと家に向かっている。 「まさか!」 傘も差さずに、足が悴むのも気にせず裸足では駆け出していた。 遠くに見える自分の屋敷を目指していると、ドオンと凄まじい衝撃が大気を震わせた。 頬に走る空気の振動に思わず顔を手で覆うと、屋敷の上空が赤く燃え上がっている。 爆破されたのだと理解して家に転がり込むと、そこは既に火の海と化していた。 「父様!母様!っ!!」 轟々と燃え上がる屋敷を見ていると、その中に黒い影が動くのが見えた。 逃げなければと思うけれど、腰が抜けているはその場所から動く事が出来なかった。 人の形を成した影を見つめていると、それが小柄な少女である事が分かった。 けれど、理解したくはなかった。 生還者だと思えなかったのは、彼女が真っ赤な着物を着ているから。 その着物が、赤黒く染まっているから。 は口元に笑みを浮かべながらこちらへ歩いてくるその少女を、ただ呆然と見つめていた。 『お姉ちゃん』 鈴が転がるような彼女の声は、誰かの声とダブって聞こえた。 濁声のようで、それはとても不快に思う声。 顔を上げて見えた彼女の顔は、炎に照らされてはっきりと見えた。 血に濡れた頬、妖しくむき出しになった舌、愉しそうに弧を描く唇。 彼女は、変わってしまった ← † → はてさて、一体彼女は何に変わってしまったのでしょうか? もう少し引っ張りまして現代に戻りたいと思います。 2009/06/01 |