「ちょっと、リナリー…!?」

うつ伏せに倒れているリナリーを慌てて抱き起こす。
彼女が着ているのは団服。
もしかしたら何かの手違いでこちらの方に来てしまったのかも、とはリナリーの顔を覗き込む。
ところが。


「り、リナリー…?」
「すー…」

気絶しているのかと思いきや、リナリーは何と眠っていた。
思わず揺らしかけた体を持ったまま、はマジマジとリナリーを見やる。


「ちょ、ちょっと…リナリー大丈夫?も、もしかして何か薬とかで眠らされてるんじゃ…!」
「んな訳ねぇーだろ」

声は頭上から降ってきた。





不思議の街のアリス








「かん…だ?」
「何だ」
「………」

は腕にリナリーを抱えたまま、しゃがみ込んだ体勢で神田を見上げていた。
確かに目の前にいるのは神田だ。
だが彼にいったい何が起こったというのだろうか。

神田の頭には「In This Style 10/6」と書かれたカードがついているシルクハットが乗っており、髪の毛はいつものような高い位置ではなく低い所で束ねられていて、首元には不釣合いなほど大きな蝶ネクタイと白い立襟のシャツ、それから緑のジャケットに黒いズボンを穿いていた。
また手にはティーカップを持っており、彼は今それを優雅に呷っている。


「ど、どうしたの…神田」
「何言ってやがる馬鹿女。とぼけた事言ってんのはテメェの方だろ?」
「は?」
「ヤマネは寝たらしばらく起きねぇよ。そういうルールだ」
「はぁ?」

訳の分からない事を立て続けに言われの頭には疑問符がいっぱいだった。
偉そうに言った神田はいつものように「フン」と鼻を鳴らしてスタスタと歩いていく。
何処に行くのよ!とリナリーを抱えたまま立ち上がったはすぐ側に座った神田をただ呆然と見つめた。
その隣にはなんとラビの姿まである。
とは言え、例の如くラビの姿も普段と大分かけ離れているが。


「おー遅かったさー」
「ラビ…?」
「ワインいるか?」

ラビも今まで同様おかしな格好をしていた。
頭には兎耳。色は髪の色に似た茶色で、ぴょこんぴょこんと動いている。
バンダナはなく首にはいつもと同じように長いマフラーを巻いていた。
ただシャツにサスペンダーをつけているのは、何だかとても異様だ。


「ワインって…それ空っぽよ」
「はは、だってワインなんてないし!」
「だったら勧めてこないでよ…」

はとりあえず椅子をいくつか寄せ集めるとその上にリナリーを寝かせた。
寝息が穏やかなことから、本当に熟睡しているのが分かる。
リナリーを寝かせた後はとりあえず神田とラビの側に座った。
その直後、黙ってティーカップを呷っていた神田がギッとこちらを睨みつけてカップから口を離す。


「満席だ。勝手に座るな」
「満席…?何処がよ。いっぱい空いてるじゃない」
「招待もなしに勝手に座るだなんて失礼だと思わねぇのかよ」
「招待って…何言ってんの?」

つくづく会話が噛み合わず、はひく、と頬を引き攣らせる。
ついでに眉を寄せていると、ラビが「しかめっ面は良くないさ」と能天気な声を出した。


「っていうかあんた達、助けに来ないでこんな所で何してるのよ!」
「何って『なんでもない日』を祝ってるだけだぜ?」
「な、なんでもない日?」
「なんでも…ない日…」
「うわ!」

いつの間に起き上がったのだろうか。
リナリーが眠そうに目を擦りながら声を出した。
は「大丈夫?」と問いかけたが、リナリーはとろんとした目のままカップを手に取って紅茶を飲み始めただけだった。


「なんでもない日はなんでもない日の事さ?知らないんか?」
「し、知らないわよ」
「ほらほらもカップ持って!なぁなぁユウ、いいだろ?」
「…勝手にしやがれ」

それっきり、神田はまた黙々と紅茶を飲み始めた。
コイツはいつから蕎麦以外のものに興味を持ち始めたのだろうか。
は怪訝な表情で神田を見つめる。
その間にもラビがにカップを差し出してきてついでに砂糖とミルクを側に置いてくれた。
「あ、有難う…」とはどうしていいのか分からないまま自然な流れでカップを受け取る。


「キラキラ…キラキラ」
「へ?」

カップを手にしたままが呆然としていると、ふと隣に居たリナリーが寝ぼけたような口調で「キラキラ」と連呼し始めた。
虚ろな様子で「キラキラ」と繰り返すリナリー。
は肩を揺すって声を掛ける。


「リナリー…?」
「キラキラ…コウモリ」
「コウモリ?」
「キラキラ……」
「ちょ、ちょっとリナリー…?」

その直ぐ後、リナリーはまた口を閉ざすとガシャンと前のめりにテーブルへ突っ込んだ。
助ける暇もなくはただただ驚く。
リナリーはまたしても眠っていた。
顔にはテーブルの上に乗っていた角砂糖がついている。


「時々そうなるんさー気にしなくていいと思うぜ」
「……」

はここまで来てようやく悟った。
この3人は自分が良く知る人間だが、今目の前にいるのは違う人だと。
は静かにカップを下ろすと立ち上がる。
目を閉じて紅茶を貪っていた神田が片目を開けて、同じように紅茶をがぶ飲みしていたラビが「どうした?」と首を傾げた。


「私、行かないと」
「何処にいくさ?」
「分からない。けど、ここじゃない何処か」
「何処に行っても無駄だと思うがな」
「そうかもしれないけど、私は帰らなくちゃ」

そうだ。私には帰る場所がある。
たとえどんなに姿形が似ていようとも、ここではない別の場所。
そこには目の前に居る彼等ではない、元の彼等がいる。


「なんでもない日、おめでとう」
「ん、有難うさー!」
「……
「!」

背を向けて歩き始めると、神田が初めての名前を口にした。
本人でないにしろ、瓜二つの彼に呼び止められては思わず振り返る。


「少し前、ここの前をモヤシが走って行った」
「モヤシ…?」
「白兎のことさ」
「アレン…?」

が神田に問いかける。
神田は肯定も頷きもしなかったが、屋敷を出て右へ向かったと言う。
は最後に「有難う」とお礼を残してこの場を去る。


ワンダーランドの旅は、まだまだ続くのであった。



  



帽子屋の帽子に書かれている文字「In This Style 10/6」は誕生日でもなんでもないそうですね。
これ、10シリング6ペンスという意味で帽子の値段を表しているのだとか。
調べて初めて分かりました。

2009/03/04