「あなた、もしかして人魚の事を知っているのではありませんか?」

の言葉に、老人はこちらを睨みつけた。
怯まぬようも強く見返す。
しばらく沈黙が続いたが、老人は何も言わずにフイと顔を反らした。


「何か知っているなら…!」
「知らん!もういいだろう!帰ってくれ!!」
「ですが…!」
、出直しましょう…」

椅子から腰を浮かせると、アレンがすかさずの腕を取って引き止めた。
アレンを振り返ればフルフルと首を振られる。
は老人とアレンを見比べた後、一度落ち着かせるように息を吐き出してゆっくりと立ち上がった。
アレンがの背中を押しながら、「有難う御座いました。お邪魔しました」と丁寧に告げて扉へ向かうよう促す。

扉が静かに閉められると暖炉の明かりは煌々と老人だけを照らした。
揺れていた椅子が止まり、老人はそっとしわしわになった手で顔を覆う。


「人魚など……いるはずがないんだ……そうだろう――――セリーヌ」

その呟きは、暖炉の薪が燃える音に掻き消された。





セイレーンの歌声








「んもー…アレンてば押し弱すぎ…もうちょっとで何か手掛かりが引き出せそうだったのに」
「とは言っても…相手を追い詰めるのは良くないですよ…」
「けどー…」
「また来ましょう?その前にもう少し色々調べておく必要がありますね――― 先ほどの方の事、とか」

雨の中歩き出したアレンは波止場に面した宿を見やる。
も一度そちらへ振り返ったが、前を向き直して自分たちの宿とは別の方向へと歩き出した。
何処かへ行こうとするに、アレンは慌てて声をかける。


「ど、何処へ行くんですか…?」
「昨日船乗りさんから聞きだした所。確か岬の先でしょ?例の人魚が出たとかなんとかって」

は歩きながら昨日の会話を思い出す。
何者かの影が岩場にあって、女性の歌が聞こえた。
それは弧を描いて海に潜って姿を消したが、一瞬見えたその姿は人魚のようだったという。

スタスタと先へ行こうとするの後をアレンは小走りで追いかけ、その隣に寄り添うとそっとの横顔を見た。
何処か憂い気で覇気のない表情。
今日の天気のように、の表情は曇っていた。


「(何かあるのかな…)」
「私…」

横顔を見ていたアレンだったが、がぽつりと何かを呟いた。
何かと問う前にがアレンより大股で足を踏み出しその表情が見えなくなる。
の髪が靡くのを横目に聞こえた言葉は
―――









「じゃ、私少し先まで見てくるから、アレンは此処で待っててね」

はリデルを背に羽根を広げると、傘を預けて岬の先から飛び立った。
その背中を眺めながら、アレンの脳裏を先ほどのの言葉が過ぎる。

『私…あんまり雨って好きじゃないんだよね…』

そう言った横顔は何だか酷く思いつめた様子で、アレンは海の上を飛行するをゆっくり目で追っていた。
今はそんな様子はないようだが、が時折見せる切なそうな表情にアレンは前々から疑問を抱いていた。
の心の中に巣食う闇は、いったい何なのだろうか。


(「僕も闇を抱える1人だけどね……そうだろ、マナ」)









「異常はなさそうかな…ん?」

は海上をぐるりと一通り旋回した後、例の何かの鳴き声のような音を聞いた。
その音が近くから聞こえ、の目は岬の先に見える岩場を注目する。


「そういえば空洞がどうとかって……!!」

岩場の方を遠目に見ていると、岩場真横の水中で何かが動いたような気がした。
魚にしては大きく、それは白い鱗を持っているのか水中でも良く目立つ。
は降下して岩場に降り立つと、海の中を覗き込んでみた。
この辺りは波が高いのか、岩に押し寄せる漣が飛沫を上げての視界を悪くする。
それでも目を凝らして注視していると、また水の中に何かが見えた。
もっとよく見ようとが身を乗り出した時。


「っ!?」

の体はナニモノかに引っ張られ、荒ぶる海へと放り出された。









―― もう諦めなさい
―― 嫌よ!私は彼じゃないと嫌なのっ
―― しかし彼はもう…
―― 彼は絶対来るわ!来るのよ…!!

暗闇の中で女性の声と老いた男性の声が響き渡っていた。
女性が何かを嫌がり“彼”を待っているのだという。


―― 私は待っているのよ…彼は絶対帰ってくる…そうでしょ、…

すすり泣く声がぐわんと広がり、まるで水の中にいるような感覚になる。
辺りに目を配ると、正面に薄っすらと光が見えてきた。
波間を漂うようにその光はゆらゆらと揺れ、口を開くと自分の口からこぽりと水泡が零れる。

(そうだ、私は海に飲まれて…)

それを自覚した瞬間、急激に感覚が戻って来たかのように息苦しくなった。
溺れていると自覚したその時。

―― 私は今でもあなたを…

の手を、何者かが掴んで引き上げたのはその直後だった。









…!…っ!!!」
「…………っ…ごほっ」

アレンの声に急に現実へと引き戻された。
頭がボーっとしていて、体はとても冷たい。
口から海水が吐き出されると、は地面にうつ伏せるようになって咳き込む。
それを見たアレンはの背中を擦り、呼吸を助けた。


「ごほっ、ごほ、っ、は…」
「大丈夫ですか
「はぁ、はぁ…っ、うん」

肩で息をするにアレンは何度も優しく背を撫でてくれた。
ようやく普通に呼吸が出来るようになると、アレンの手を借りてゆっくり体を起き上がらせる。


「私…」
「溺れたんですよ、海で」

リデルだけが慌てて戻ってきたので吃驚しました、とアレンはに濡れていない自分の上着を掛ける。
は慌ててそれをアレンに返そうと思ったが、アレンは「風邪を引いちゃいますから」とそのままの肩へ戻した。
アレンも十分濡れているのにと思ったところで、は何故アレンまでもが濡れているのかという事に気がついた。


「アレン、濡れて…」
「君が溺れてたから助けたんだ。気にしないで下さい」
「……ごめ、ん」
「それより早く戻りましょう。このままじゃ風邪を引いてしまいますから」

アレンはの肩を支えながらゆっくりと立ち上がると、そのまま宿に向かって歩き始めた。



  



海の中に見た白い魚のようなイキモノとは一体なんでしょうか。
やっぱり紳士なアレンに弱いという管理人の趣向が現れております(笑)

2008/12/27