……待っているのよ、私の愛しい人を

ずっとずっと、私はあなたのことを…―――





セイレーンの歌声








「っは、」

はパチリと目を開いた。
いつものような眠気の余韻もなく、急に意識がはっきりと目覚める。
何度か瞬きを繰り返し、薄明かりが漏れ入る部屋をじっとりと眺める。
心臓がバクバクと激しく鼓動し、吐き出す息は荒い。


「なに、」

アクマの襲来か、それとも別の物か。
は外気に触れて冷たくなっている汗ばんだ額に手を当てる。
そのままゆっくりと体を起き上がらせると、徐に窓の方へ目を向けた。
の頭にリデルがふわりと降り立って、しっぽを揺らす。
はリデルを胸元に引き寄せると、ぎゅっと抱き締めて足を床に下ろした。


「………」

窓に掛かっていたカーテンをシャ、とずらすと、窓に小さな雫が一面に散らばっていた。
最初海の中のようなイメージを抱いたが、ただ単に雨に濡れているだけだという事を悟る。


「あめ…」

ぽつぽつと雨は窓を叩く。
豪雨ではないそれをしばらく眺めた後、は窓から見える少し遠い海を見やった。
灰色の空に面した海は、同じような暗い色に染まっている。


「人魚…ね」

の吐き出した息が、白く窓ガラスを曇らせた。









「今日はファインダーが収集してきた資料を中心に聞き込みから始めましょう。それから時間があれば昨日船乗りから聞いた岩場付近に行ってみてもいいし」
「そうですね」

はファインダーが収集してきた情報がリストしてある資料をペラペラと捲りながら呟いた。
同じく資料を眺めていたアレンは頷いて再び手元に視線を落とす。

雨が降っていて行動範囲が限られるため、まずは聞き込みから始める事にした。
とにかく、リストにもある『奇怪な歌声』『難破する船』『鱗を持った子供』『怪物』などから見ていく必要があるだろう。
ちなみに『難破する船』とは恐らく昨日船乗りが言っていたものと一致する事から、彼等がその犠牲者である事は間違いない。
その時に聞いた歌声というのも、もしかしたら『奇怪な歌声』と何か関係がある可能性もある。
また“人魚”との関連性も調べていかなければならない。


「(問題山積みだな…)」
、見えてきました。波止場の宿です」

アレンの声には視線を上げてそちらを見た。
するとあまり活気付いていない波止場の宿が点々と立ち並んでいるのが見える。
活気付いていないのは、恐らく今回の騒動があったためであろう。
とアレンは一度顔を見合わせて手前から順に当たっていく事にした。









「収穫ナシ…か」
「というより、門前払いが多いですけど…」

とアレンはとある宿の軒先で雨宿りをしながら雨雫が落ちるその様子に耽っていた。
それもそのはず。
手掛かりはおろか、宿の人に「営業妨害だ」と怒鳴られ話を聞くことさえ出来ていないのだ。
ぽつぽつと屋根から零れ落ちる雫を見ていると、不意に何処からか歌声…のようなものが聞こえてきた。
とアレンはバッと体を雨の中に躍らせて、辺りを隈なく見渡す。


「歌…なのかな。変な感じ」
「ええ、歌というよりも……鳴き声」

それは旋律のようにも聞こえるが、どちらかと言えば何かが鳴いているようなそんな音に聞こえた。
2人で耳を澄ましていたが、結局音は次第に弱くなって消えてしまう。
警戒を解くように、2人は居住いを崩す。


「今のはいったい…」
「風の音だろうさ」
「「!?」」

突如アレンとだけだった空間に老人の声が入った。
驚きに2人でそちらへ振り返ると、今まで雨宿りをしていた宿の店先に老いた白髪の男性が1人立っている。
いつの間に、というよりも、今は老人の言葉の方が気になった。


「あの、今の事で何かご存知なのですか!?もし宜しければ、お話をお聞きしたいのですが」

今は何よりも情報が欲しかった。
が「お願いします」と頭を下げると、老人はしばらく何も言わず黙っていたが、ようやく「中に入りなさい」と短く返事が来る。
アレンとは顔を見合わせると、その宿屋の中へと足を踏み入れた。









宿屋の中は閑散としていた。
お客といえるような人間は誰一人としておらず、明かりの灯っていない室内は薄暗く、ただ暖炉の炎だけがゆらゆらと影を作っている。
老人は暖炉前のロッキングチェアに座ると、そのままパイプに火を点して紫煙を吐いた。
アレンとは老人の手前で立ち止まったが、「まぁ座りなさい」という言葉に近場の椅子に腰をかける。


「君達はこの辺の子ではないな…」
「ええ、そうです」
「何故あの音の事を知りたがる。知って何か得する事など何も無いだろうに」

アレンが言葉を返すと老人は一度こちらをちらりと見て椅子を前後に揺らし始めた。
そのまま暖炉の光を見つめて諭すように言う。
確かに、一般人であればそれもこの近辺に住む者でなければ知ったところで何の意味も成さない。
アレンが言葉に詰まると、が口を開いた。


「調査をしに来ました」
「…最近白い服の奴等がこの辺りを嗅ぎまわっていたが、仲間か」
「ええ」

おそらくファインダーの事を言っているのだろう。
が頷くと、老人は「そうか」とだけ零して再び紫煙を吐き出す。


「船が、相次いで沈没している事は聞いておるかね」
「ある船乗りから話は伺いました」
「…そうか。まぁお前達が話を聞いた船乗りが何と言ったかは知らんが…あれはただの事故だ」
「……事故?難破したと聞きましたが」
「違う。どうせ出発前の点検を怠っただけだろう。事故だ」

老人は炎をじっと見つめたまま淡々と述べる。
しかし相次いで船の沈没事故が起きるだろうか。
は訝しげに老人の横顔を見る。


「しかし船乗りは言っていました。人魚を見たと」
「ふん…人魚などおらん。魚か何かの見間違いだろう」
「例え魚だったとしても、僕達は船乗りから女性の歌声が聞こえたと伺っています。それは…!」
「先ほどのような音だろうて。あれは岬の先にある岩窟の中に潮風が入り込むことで聞こえる音だ。歌声などではない」

頑なに否認するような言葉を並べる老人を、は怪しんでいた。
老人は何かの存在を拒んでいるような、認めたくないと言っているように聞こえた。
信じたくないと、それはあるはずないのだと。
は「でも!」と言葉を続けようとしたアレンを手で制して老人を見やる。


「あなた、もしかして人魚の事を知っているのではありませんか?」

その言葉に、老人は睨みつけるようにこちらを見やった。



  



今回のキーパーソンの1人ようやく登場です!
色々ごっちゃな内容ですが、1つずつ疑問を解決していきたいと思います!

2008/11/30