ザザン、という波が船にぶつかる音と、微かに軋む船体の音。
太陽も風も、そして船員も寝入った真夜中。
静まり返ったその部屋で、ぴくり、とその体は動いた。


「っ!!」

目が見開かれ、ぐっと胸元を強く掴むと荒く息を吐き出して起き上がる。
ぽたりと零れ落ちた涙をシーツごと握り締めると、落ちるようにしてベッドから降りた。






 狂気と正気の狭間で君を想う







「っは、っ、っぐ」

壁伝いにふらふらと外まで出てくると、ずるずると柱に寄り掛かったまま座り込んだ。
呼吸は相変わらず儘ならない様子で、ただただ胸元の服を握り締めたまま涙を堪える。
それでも呼吸は落ち着く様子はなかった。


「まだ起きてたのか」

カタリ、と音がして、ゆっくりとその音を辿ると、月の僅かな光で出来た影が目の前にあった。
その影を見るまでもなく、声を発した人物がローであるとは理解していた。
呼吸が荒いまま顔を上げると、月光の中、こちらを不機嫌そうに見下ろすキャプテンがいる。


「また、過呼吸か」
「っ、っひ、は、っぅ」

肯定の言葉も、否定の言葉も、の口から出ることはなかった。
ローは、何かをするでもなくただの前に立って冷徹な目でこちらを見下ろしている。
ポケットに手を突っ込んだまま、まるで敵を殺す直前のような冷たい目を向けていた。


「っぁ、は、っ、はっ」
「そういや今日は満月だったな」

スッと持ち上げた視線は、まだ頭上に輝く月を捉える。
どんな星よりも眩しく、明るく空を照らす満月。
とても綺麗なその月だが、は複雑な気持ちでそれを見上げた。
大好きだけど、大嫌いな月だった。




「あの女に飼われても、おれに飼い慣らされるのは嫌か」




その言葉は凍てついた刃のようで、は伏せていた目線をローへ向けた。
ローの表情は無表情であるにも関わらず、その瞳はとても冷たくて、荒い呼吸をしながらも、の額に汗が浮かぶ。
過呼吸からの疲労ではない。ローの殺気ゆえだ。

あの女。
もうあの女の元を離れてどれだけ経ったことだろう。
ローに引き取られ、この船に乗ってからも、時折起こる過呼吸は、を過去の呪縛へ戒める。


「は、っひ、っ、は、っ」
「……袋を用意するのは面倒だ。このまま息を吸え」

一度目を伏せたローだったが、の呼吸が収まる様子がなかった為か、見兼ねて傍らにしゃがみ込んだ。
そのまま手での鼻と口を覆うと、背中を擦りながら呼吸を手伝う。
涙が頬を伝ってローの手に移っても、ローは何も言わずの呼吸の回復を待った。
それからどれほど時間が過ぎただろうか。
ようやくの呼吸が、通常のものに戻ってきた。


「きゃ、ぷ、てん」
「治ったな。なら、おれは寝る」
「ま、って」

立ち上がろうとしたローの手を、は弱々しくも離すまいと掴んだ。
立ち上がりかけた体勢で止まったローだったが、再び先程と同じようにしゃがみ込む。
それでもはローの手を強く掴んだまま、何とか声を絞り出した。


「わ、たし、は」
「………」
「キャプテンの、もの、です」
「………」
「誰のものでも、ない。キャプテンの、もの」

そうだと言って欲しい。そうであって欲しい。
もしそうでなかったとしたら、私は一体、誰のものであればいいと言うのか。
何も言ってくれないローに、は苦しさからではない涙が込み上げた。


「おれはあの時。お前を助けたつもりはない」
「分かって、ます」
「あの国を救った訳でも、ましてや偽善行為でなんてあるはずがねェ」
「そう、です」

過去を振り返りつつ、ローの行動一つ一つを思い出しながらは頷く。
当時、この男は。
海賊としてあの国にやって来て、そしてただ、壊しただけだった。
誰かを助けた訳でも、何かを守った訳でもなんでもない。


「でも、キャプテンは、私に、『来るか』って、言ってくれました」
「あァ、退屈凌ぎに声を掛けただけだ」
「知って、ます」

決して、仲間に引き入れるために声を掛けた訳ではないのは、仲間になったが一番良く分かっている。
あの時ローは、ただ目の前にいたを目に留めて、『来るか』とだけ言った。
それに頷き、手を取ってしまったのは自分自身。
きっとあの時、目の前にいたのが別の人物で。
それがローの興味の対象であったのなら、ローは声を掛けていただろう。
たとえそれが、でなくとも。


「でも、私は…キャプテンの為に今生きています」
「………」
「あの女は、ただ私を"飼った"だけ」
「………」
「キャプテンは、私を"飼い慣らしたい"んですか…?」

バン、という音を立てて、の体は柱へ押し付けられた。
過呼吸から回復したとはいえ、の体は力が入らず、ローの力によって簡単に柱へ縫い留められる。
反動を受けた頭がくらくらするが、ローにそれを気にした様子はない。


「勘違いするなよ、
「……」
「そもそも、お前は飼い慣らされるような女じゃねェだろうが」
「…きゃぷ、てん…?」
「お前みたいな女を、無理やりねじ伏せたところでなんの面白味も感じねェな」

スッ、とローはの体から手を離すと、後ろへ身を引いてニヤリと笑う。
ああ、この笑みだ。
あの時ローはこの笑みを浮かべていた。
そして言うんだ。


「飼い慣らされるな。おれの為にただ生きてろ」
「…アイアイ、キャプテン」


その言葉が、私を強い鎖で縛り付けていくのを。
きっとあなたは知らないだろう。





甘くもないビターな話ですー。
過呼吸になったヒロインの口元をただ手を覆って見てるだけっていうローが書きたかった。
慈悲なんてあったもんじゃないと思いますね。
嫉妬心が少し現れてればいいなぁ。
ちょっとヒロインの過去を出しました。
この事についてはまだ、触れる予定はありません。
謎はそのまま、もうしばらく謎として残しておいて下さいー。
気が向いたら、ヒロインの過去編とか書いてみたいと思っています。

2010/04/25