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血まみれで船に戻ってきたを見て、船番をしていたクルーは驚いた。 ふらふらと歩いてくるに一体何があったのかと問うクルーだったが、はただ「何でもない」と一言告げて浴室へと姿を消す。 笑顔もなく、かといって悲しみもない無表情のの顔を見て、クルー達は苦い思いで顔を見合わせていた。 手に掴んだ光熱いシャワーを頭から被ると、固まり始めていた血が溶け出したのか水が赤黒く濁った。 体を伝い排水溝に抜けていくその水を目で追いながら、は先程己が手に掛けた男の言葉を思い出す。 『狂気っていうのを持った人間は、死ぬまでその狂気に囚われるのさ! どんなに変わろうと思っても、その気持ちだけは何があっても変わることはねぇ! 血の臭いを求めて、求めて、求め続けるッ!それが運命だからだ! ―――お前のその眼、まるでおれみてぇだなァ』 男の言葉を打ち砕くように、は目の前にあった鏡を拳で叩き割った。 先程男に傷つけられた右手は、今の衝撃とガラスに傷つけられ再び血が滲む。 流れ出る鮮血に目を向けて、痛みを感じないのかそのまま強く拳を握った。 「…くそっ」 何故だか涙が止まらない。 悔しいのか、痛いのか、苦しいのか、哀しいのか。 しかし今が感じているものはそのどれでもないものだった。 暖かいシャワーを浴びていてもその不安は拭われる事はなく、はシャワーを止めると風呂場を出た。 流れる血は煩わしかったので、ハンカチを手に巻きつけて適当に止血する。 後で鏡を割った事をローに報告しなければ。 そもそもに、ローに苛立って飛び出してきたのに、どんな顔で会えばいいのだろうか。 服を着たはふと怪我をしていない方の腕を持ち上げて鼻に近づける。 スン、と鼻を鳴らして匂いを嗅ぐと、その"におい"にそっと瞼を落とした。 血のにおいが、消えない。 ハァ、と重苦しい息を吐き出して、は浴室を出るため扉に手を掛けた。 しかし、扉を開けた先で今最も顔を合わせたくない人物と鉢合わせ、は顔を顰めた。 が顔を顰めたのに気付いたその人物は、しばらくの顔を見ていたがスッと乱雑にハンカチが巻かれている右手に視線を移す。 「面倒ごとを起こすなと、いつも言っているはずだがな」 「………」 「尻拭いならいいが、テメェで起こした不始末はタチが悪いぜ?」 「………」 ローの言葉に何も言い返す気がないは、そのまま扉を閉めるとローの隣を抜けようとする。 ところが、の進行方向を塞いだのはローの足だった。 そのまま腕をつくと、壁とローに囲われた形になる。 は、横目にローを睨んだ。 「…シカトとはいい度胸じゃねェか」 「今日は戻ってこないと思ってました」 「フフ、機嫌が悪りィな」 「…キャプテン、離れて下さい」 「おれの話はまだ終わっちゃいねェ」 顔を見ようともしないに、ローが片方の手を伸ばして顎を掴もうとした。 ところが、はその手を叩き落としてローを睨みつける。 反抗的な態度に、ローは僅かに目を見開いた。 「触らないで下さい」 「何を苛立ってやがる」 自分でも、ロー相手に何をしているのか良く分かっていなかった。 ただ鼻を掠めるその"ニオイ"が嫌で、伸ばされた手を拒絶してしまったのだ。 これ以上ここに居ても何も解決しないと思ったは、そのままローの前から立ち去ろうと止めた足を動かす。 しかし、聞こえてきた言葉に、思わず足が止まってしまった。 「血の臭いがするな」 「………」 「、お前――誰か殺したのか?」 「…っ、」 「お前、」 「キャプテンは、女の香水の臭いがします!!」 吐き捨てるように言うと、は脱兎の如くローの前から走り去った。 あれ以上あの場所に居たくなかった。 あれ以上ローの言葉を聞きたくなかった。 醜い部分が露出していくようで。 血の"ニオイ"とローから漂う香水の"ニオイ"で眩暈を起こしそうで。 駆け出した足は甲板まで来ても止まることは無く、はそのまま船を飛び降りて砂浜を走っていた。 黒い海と冷たい海水は今のの心の中のようだった。 黒いナニかが心を満たし、そのナニかが押し寄せては引いていく漣のようで。 息が切れるほどに走った頃、砂に足を取られての体は浅瀬に沈んだ。 折角暖めた体は海水に冷やされ、服も濡れて重たくなる。 塩分が沁みるのか、右手がじわじわと痛みに熱を持った。 「」 ぱしゃりと波を踏む音がして、真上からローの声が降ってきた。 しかしは寄せては返す波に身を任せるばかりで、動く気配はまるでなかった。 「オイ、」 二度目の問い掛けに、ぴくりとの肩が跳ねた。 するとがゆっくりと立ち上がり、突如海に向かって走り出す。 反射的にその体を抱き込む形で止めたローは、暴れるを力任せに押さえ込んだ。 「!」 「離してっ!離して下さいっ!!」 「何言ってやがる…っ」 「や、離して、っ」 「おい!」 後ろから抱き締めるローは、未だ海に向かって進もうとするを無理やりに持ち上げて浅瀬に押し倒す。 押し倒された事での顔を見ることが出来たローは、思わず握っていた手の力を緩める形になった。 「お前…」 「見ないで下さい…っ」 「………」 「死なないから、放っておいて、下さいっ」 は、泣いていた。 流れる涙を拭おうとするものの、両手を拘束されているので宙に浮かせたまま動かせない。 の泣き顔に驚いていたローだったが、そっとの腕を放してやると、は腕で顔を覆い静かに嗚咽を堪える。 「血の…臭いが消えないの、っ」 「……」 「お湯で流しても、体を洗っても、海水に浸かっても……っ、取れない…っ!!」 この臭いは何処からするのだろう。 怪我をした右手?それとも自分の体を止め処なく流れるもの? それとも、記憶にこびり付いた臭いなのだろうか。 どんなに強く体を洗っても、いくらシャワーを浴びたとしても。 潮の匂いが濃いこの場所でさえ。 まるで逃がさないと捕えるように臭いは消し去られない。 は顔を覆っていた手を持ち上げる。 体に纏わりつく海水が、まるで血の海のようだ。 「、」 ふと、体温が近くなってが目線を上げると、指の隙間からローが近づくのが見えた。 目を見開くと同時に、ローの唇がの傷口に触れる。 見開いた目から溜まった涙が零れ落ち、閉じていたローの瞼が持ち上がると目が合った。 どれだけ見詰め合っていたか分からない。 ただ顔を覆った自分の手が、ローによって退けられたのが感覚で分かった。 「お前の手が血に汚れるのはおれがお前に命を下しているからだ」 「っ、ちが、」 「臭いが取れないのは、おれがお前にそれだけの事をさせているからだ」 「ちがう、」 「だから、おれを恨め」 「っ!」 「おれを憎め」 「きゃぷてん、っ、」 「だから、自分を傷つけるな」 ローの手がの両手を包んだ。 汚れている手は、ローの手で浄化されていくような気さえする。 は再び涙腺を緩ませながらローの手を握り返した。 こんな手でも、キャプテンに触れてもいいのだろうか。 「わ、たし、」 「……」 「怖い、よ、キャプテン」 ああ、これは恐怖だ。 悔しいのでもなく、痛いのでもなく、苦しいのでもなく、哀しいのでもない。 血に飢えていくような、渇いていく感覚。 "普通の人"とは違う、狂っていくような焦燥。 私は、あなたの目にどう映っているのだろう。 「、おれを見ろ」 ぐっ、と体を起こされて、は海辺に座りこむ形でローと向き合う。 恐る恐る持ち上げた視線を受け止めたのは他でもなくローで。 頬を伝わる涙を親指で拭い取ると、ローはそのままを抱き締めた。 腕が背中に回り、濡れて冷えた体がローの体温でじわりと温かくなる。 「お前は…おれの 「……っ」 「ハートの海賊団である事に、おれの船員である事に、誇りを持て」 「……ほ、こり…?」 「痛みはおれが取り除いてやる。涙はおれが拭ってやる」 「きゃぷ」 「恐れを抱くのなら、それすらも振り払ってやる。だからお前は、おれの背中だけを追い駆けて来い」 顔を上げた先にローがいる。 他の誰でもない、自分が信じるべき人がいる。 そんな人が、自分の抱く全ての「恐怖」を取り払ってくれると言う。 そうだ。 例え暗闇に居ようとも。そこが血に染まる地獄でも。 ただ目の前にこの人の背中があれば何も怖くない。 この人と共に生きると、生きる理由になったこの人を。 私は見失わなければいいだけなのだ。 「キャプテン…」 ローの背中に回した手で服を握りしめる。 海賊船に乗ったあの日から。 いや、きっとそのずっと前から。 私の運命は決まっていて。 そこが血だまりの暗闇であったとしても。 「有難う、御座います」 この人は、私の追い駆けるべき光だったんだ。 テーマむっちゃ重い気がするんですけど大丈夫ですか←(苦笑)。 とにかく血に染まっても恐怖に堕ちていこうとも、キャプテンさえ居ればヒロインにとって怖いものはないと。 ローこそが生きる全ての理由だというのを再確認して欲しかったのであります。 甘さの欠片もないですが、ローという存在が大きなものになればいいと私は思います。 これにて一応「恋人未満」編は終わろうかと考えております。 今後もしかしたらこういうお話も増える…かもしれませんが、 とりあえず過去回想+恋人編に入って行こうかと思っております! 2010/06/25 |