孵化したばかりの蝶最近面白くない噂話をよく耳にすると、ローは食堂で肘をついたまま片目を開いた。 食堂の窓際付近に座っている一角が、何やらその噂話をしている。 ざわざわとうるさい食堂内で、やたらその話題が耳を突く。 「最近の、綺麗になったと思わないか?」 「元々可愛い顔してるしなー…」 「なんつーの、ふとした時の色っぽい表情!たまんねェ!」 「着てる服もヤバイよなぁ〜」 その話題は、今この場所にはいないがこの船に乗る唯一の女性クルー・の事。 そうなのだ。最近良く出回る船内の専らの噂話は、世界情勢の事でも何処かのお宝の話でもない。 他ならぬの事だった。 はどちらかと言えば綺麗よりも可愛らしいの部類に入る面立ちだ。 実年齢よりも幼く見えるのはその為で、笑った顔などまるで子供のよう。 ところが、時折その可愛らしさを覆す瞬間があった。 憂い顔や、何処かをぼんやりと眺める顔。 気にしていなければ見落としてしまうようなそんな瞬間を目撃したクルー達が、の魅力に気づき始めていた。 「お、だぜ」 その内の一人が窓の外を見て手を止めた。 視線の先にいたのは、ペンギンと話しながら海図を運ぶの姿。 「ミニスカートってヤバイよな」 はこの船の掟に合わせて、ローが見立てたツナギを着ている。 ただし色は淡いピンク色で、オールインワンタイプの下はスカートのものだ。 ひらひらと歩く度に揺れる裾から覗くのは、雪のように白い肌と左の腿に彫られたこの海賊団のシンボル、それに合わせて彫ったピンク色のハートの刺青。 そして僅かな肌の露出を残して下を覆うのは黒いレースがあしらわれたオーバーニーの靴下で、それを引き締めるように膝丈のブーツがはりついていた。 他にも丈の短いサロペット風のツナギや、ローのようにパーカーを着る事もある。 足の露出に拘っているのはハートの海賊団の証である刺青を隠さない為。 それ以外はほとんどローの言いつけ通りにツナギを着用していた。 「なんつーか…ムラムラするな」 その言葉の直後、ガンと何かを蹴飛ばすような音が聞こえた。 テーブルの上に乗っていたコップが倒れ、水がテーブルに零れる。 そちらにギギギ、と顔を向けた直後、サー…っと男達の顔から血の気が引いた。 静まり返った食堂内、テーブルの脇に立っているのは船長その人で。 クルーは固まって委縮している。 「次の島でその欲、全部吐き出して来い。いいな」 「あ…アイアイ、キャプテン…」 「それから――……“ROOM”」 「ひぃっ」 ローが突如として能力を発揮し、男を冷たく見下ろしたまま刀を構える。 バラされると誰しもが思ったが、ローは刀を鞘に収めたままひゅっと男の首元にそれを宛がった。 「次に余計な事を口走ってみろ。ここが飛ぶぜ?」 「…き、気をつけます」 「…………」 ギロリと上から睨みつけられた男は、震えながらも言葉をやっと吐き出す。 それを見たローはしばらく威嚇するかのように見続けた後、静かに食堂を後にした。 バタンと少々乱暴に扉を閉めると、甲板の隅で海を眺めているが見えた。 苛立ちを隠すようにズボンのポケットに手を突っ込みローはの側に歩み寄る。 風ではためくスカートの裾を視界に入れながらも階段を下りると、音に気付いたが顔を上げた。 「あ、キャプテンだ」 「………」 ぼんやりと海を眺めていたが、パッと表情を変えた。 こういう変化が、きっとクルーの目を引くのだろう。 そう思いながらも、嬉しそうに笑ったにローは複雑な気分になった。 「サボりか」 「違いますー。手が空いたのでちょっと息抜きです」 「…何か見えるのか?」 「…いえ、海と空と、雲くらいです」 そう言って再び外を眺め始めたの横顔が少し物悲しげに見えて。 ローは知らず、手を伸ばしていた。 「え、」 頬に触れたローの指先に、は固まって声が出なくなる。 ローを見上げれば、手を伸ばしたはずの本人の方が目を見開いていて。 ローはしばらくを見た後、手を離すと自然に外に視線を逃してしまった。 「………」 「………」 今のは一体何だったんだろう、と思いながらも、ちょっと思案顔のローの横顔に何も言えず。 はそっと視線を外すと、同じように大海原を見渡す。 「」 「はい」 「服…」 「…服?」 「その服、着替えろ」 「……汚れてますか?」 さっき倉庫に行ってきたからな、とがキョロキョロと自分の服を見渡した。 意味を理解していないに、ローはハァと息を吐き出すと、そうじゃない、とに向きあう。 「丈の長い服にしろ」 「…持ってませんよ、そんなツナギ」 「クルーのツナギがあるだろうが」 「あれじゃブカブカで動けません」 「なら長ズボンを穿け、持ってただろう」 「それは…嫌です」 ただでさえ見下ろされて威圧感のあるローが、眉を顰めて更に威圧的になった。 怖くはないが、不機嫌になった船長には渋い顔をする。 「何故だ」 「前にも言いましたよね。だからこのツナギだってキャプテンが許してくれたんじゃないですか」 「駄目だ。船長命令だ」 「嫌ですって、言いました。私がハートの海賊団である誇りが、隠れちゃいます」 が頑なに丈の長い服を拒むのは、が太腿にハートの海賊団の誇りを刻んでいるからだ。 長ズボンなんて着てしまえば、誇っているこのシンボルが隠れてしまう。 「そもそも、胸元に刺青入れたいって言ったのに、それを拒否したのはキャプテンですよ?」 「………」 「だから足に入れて我慢してるのに、どうして我慢して入れた刺青隠さないといけないんですか」 は最初、胸元にハートを入れたいと言っていた。 がしかし、それを断固として許さなかったのはローで。 散々言い合いもしたが、結局が折れる事で収拾がついたようなもの。 それさえも隠せなど、にとっては酷な話だった。 「……何でですか。私がハートとシンボルを掲げるのが、嫌なんですか…?」 今では女性を海賊船に乗せるのは一般的にも受け入れられつつあるが、それでも「女だから」という理由で拒む者もいる。 もしかしてローも、同じ気持ちなのではないか。 体にシンボルを刻むなど、重苦しいとでも思っているのかもしれない。 が唇を噛み締めた直後。 ローが重たい溜め息を零した。 「ハァ…まったくお前は」 「……」 「何くだらない事考えてやがる。おれはそういう意味で言ったんじゃねェ」 「じゃあ、」 「もっと周りの目を気にしろ」 「…?」 が意味を理解しかねて首を傾げた。 その動作を見たローは短く息を吐き出すと、スッと腰を屈めてを欄干に押し付ける。 ぴくりと跳ねた体を無視し、露わになっている鎖骨付近に顔を寄せた。 「ちょっ、きゃぷて、んっ」 首筋にぞくりとした感覚が走る。 熱い吐息が触れ、一瞬ちくりとした。 「とりあえず予防線だ」 「っ、…?…?」 混乱と、ローの言葉の真相が分からず、はローに触れられた箇所を手で押さえた。 若干その頬が赤くなっているのを見逃さなかったローは、苛立っていた気持ちが萎えて行くのを感じる。 「丈を変える気がないなら、首元も隠すな、いいな?」 「あ、え、どういう」 「分かったな?」 「……は、い」 納得のいかない様子で、はとりあえず頷く。 ローはそれを確認すると踵を返して船内へと戻っていった。 その口元は弧を描いて。 「まっさらな胸元を埋めるのは、おれのモノである その言葉が聞こえなかったは訳も分からないまま、ただ言われた通り首元を隠す事無く作業に戻った。 以後、の事を気安く話題に上げる事も少なくなったと言う。 珍しいキャプテンの嫉妬!(バンザイ!) ヒロインの事を色目を使った目で見られるのが嫌だったというね。 あの人ならリアルにテーブルの足とか蹴って威嚇しそう。 ヒロインの足にはハートの海賊団のジョリーロジャーのマークと、"ハート"が刻まれています。 2010/05/19 |