へし切長谷部。
良く目にしているし、良く耳にしている名前。
それもそのはず。それは毎日毎日飽きもせずプレイしていた例のゲームの。
その人物が目の前にいるというのだから。

うつろ、としていた頭が途端冷えるような気がした。
確かに自分が寝転がっているここは幾分かひんやりしている。
だがその感覚は床が冷たいとか言うそれではなかった。
血の気が引く。どちらかと言えばその表現の方が近い。

ぱちり。と瞬きをして頭上を見上げる。
瞳を潤ませて何とも言えない表情をした美男子が一人。
おや。おやおや。私は彼を知っているぞ。
幾度となく見てきた。そう、だって彼は。

「はせ、べ…」
「はい…、長谷部に御座います」

涙声の長谷部が返事をした。
間違いない。声も姿形も、目の前にいるのは長谷部だ。
どれ程そうしていたか良く分からないが、だが時間は本当に短かったのだと思う。
頬に添えられたものが手だと分かると、恐る恐る彼の手に触れてみた。
あたたかい。指先から小さく伝わる脈動が、彼の生を感じさせる。

この人は生きていて。自分の目の前にいるのだ。

添えられた手を押し付けるように頬を寄せる。
夢のようだ。否、もしかしたら夢かもしれない。
だがそうとは思えないほどになんともリアルな感触。
お世辞にも柔らかいとは言えないゴツゴツとした手がふるりと震えて、そのまま首の後ろまで手を差し込まれた。
くすぐったい。そう思う間もなく横たわったままだった自身の身体が起こされて。
再び戻ってきた手が頬を撫でた。

「あるじ…ずっと…」
「……」
「ずっと、主あなたを…お待ちしておりました」

コツ、と頭に長谷部のおでこが押しつけられた。
長谷部。へし切長谷部。
間違えようがない。だって彼は。

「私の、長谷部…」
「はい」
「ほん、もの…?」
「ええ。どの長谷部の事を仰っているかは存じませんが。俺は本物ですよ」

ぺたぺた、と彼の頬を触る。
何処か気持ちよさそうに長谷部の目が細められていくのを見て、ハッと慌てて手を離した。
長谷部はやや残念そうにしたが、人様の顔を、それも男性の顔をやたらめったら触るものは如何なものか。
手を引っ込めて呼吸を整えてから、今更ながらに改めて自分の置かれた状況を整理する。
長谷部から視線を部屋へ巡らせ、ぐるりと見渡せばそこは随分と綺麗にされた大きな広間だった。

天井から零れ落ちる上質そうな薄布はまるで日の光ともオーロラとも言えるような美しいもので。
それは背後の祭壇を覆うように張り巡らされていた。
祭壇にも同等の布が敷かれ、お榊やら三方なども置かれ供えものと思われる品々がきちんと祀られている。

一番上に目をやると、注連縄が見えたがそれは千切れて無残な姿になっているのが見えた。
恐らくあそこには最も重要とされるものが置かれていたに違いないが、もぬけの殻であった。
檀上をじっと見ていたせいか、長谷部が「ああ」と言って足元に転がっていた何かを拾い上げる。

「御神鏡ですよ。あそこにあったのは」
「鏡…」
「割れてしまっていますが、どうやら、」

長谷部は合点が行った。と言う風に立ち上がって割れてしまった神鏡を撫でた。
大事そうに。愛おしそうに。

「この御神鏡が割れた故、主が顕現されたのかもしれませんね」

よっぽど大切なものなのだろうと、長谷部が鏡を撫でる様を見ていたが。
どうやらそれは【私】のことらしい。
思わずカッと顔が熱くなって長谷部から視線を逸らす。

「(なんて)」

なんとも優しい目をする事か。
纏う気配からそれが凄く愛おしものであることは容易に推測できた。
だからこそ、それが自分であると分かった途端急激に恥ずかしくなる。


しかし困ったことになった。
冷静になってきた頭で考える。
目の前に長谷部がいる事から、どうやら自分は本当にゲームの世界へと来てしまったようだ、と言うのは理解出来た。
こっそりと手の甲を抓ってみたが実に痛かった。
何がどうしてこちらの世界へ来てしまったのかはさっぱりだが、間違いはないであろう。

ふと、祭壇脇に大きな置物のようなものが見えた。
何かの機械かと思われたが、近寄ってみればそれは現代でも目にしたことのある。

「萬年時計というものらしいですよ」
「…」

万年時計。確か博物館で目にしたことがあるはずだ。
ただそれよりも若干大きく、特殊な造りをしていることは明白だった。
胴体部分に文字盤が備えられ、何かを表す表記になっている。
歩み寄って触れると、どうやら刀剣男士たちの名と共に、役割、近侍や部隊が書かれているようだ。
近侍の名は【和泉守兼定】となっている。そう言えば昨晩第一部隊の配列を変えた気がする。

それ以外にも遠征地や遠征のための部隊や内番の指示に至るまで全て。
昨晩眠る前に自分が指示を出したものがそのまま。

「俺はそれを…主命を皆に伝える任を拝命していました」

隣に並んだ長谷部は何処か誇らしげに胸を張って啓示を見つめる。
長谷部らしい。そう思う。
きっとその任は俺が引き受けるものだ。
そう言って誰にも譲らなかったのではないかと思う。

「…いつも有難うね。長谷部」
「勿体なきお言葉」

長谷部はフッと笑った。



【あとがき】

サラっと終わらせてしまってますが、うちの審神者はトリップ主です。
とは言え、それが直接何かに影響を及ぼすようなものではないので知見共有程度で終わらせてます。
“霊力”が高いという以外は今のところ普通の女の子です。
ちなみにある程度外見や性格年齢に抵触するところはあるかもしれませんが、特別細かな設定は設けていませんであしからず。

それから絡繰りとして登場させた【万年時計】。
あれ、実は実在するものです。天球儀やら月齢やら、本当にそんなものが一つの機械で動くのか?ましてや現代の技術でもそんなのないぞ!?と思って調べていくうちに『田中久重スゲェ』と驚いたものです。
実に美しく、実に精巧で、本当に素晴らしい作品ですので、是非皆さまも検索検索ぅ♪してみてください笑

[2017/7/23]