ちん」

そう言えば、と手に持っているタオルのことを思い出して彼女に声を掛けた。
オレが話しかけるタイミングもなく次から次へと彼女はひっきりなしに話しかけられていたから、言うのが遅くなっちゃったし。

「これ、借りといていーい?」
「あ、うんどうぞ!ごめんもしかしてそのためにずっと待ってた?」
「………別に」

確かに声を掛けるまでのタイミングがなかった、と言うのも事実だが、それは彼女のせいじゃない。
どちらかと言えば他の人達がさんに声を掛けていたからで。
彼女はバスケ部のマネージャーだ。他の部員と話だってする。
当然のことのはずなのに。

「なんか、変な感じだし」

今まで彼女と話をするのはオレだけだった。
教室での彼女をマジマジと見たことがないから、まあオレ以外とも当たり前だけど会話はあっただろうとは思うけど。
それでもクラスで大して目立つことのなかった彼女を見つけて、こうやって話すようになったのは。
バスケ部のマネージャーになったのは、オレのお陰でもあるのに。
それが何だかとても腑に落ちない。
何が、なんて首を傾げるものだから、そうやってるのが、と返してやった。
尚も考える素振りを見せる彼女が徐に口にしたのはオレの名前。正確には苗字。
別に呼ばれ方に拘りはない。苗字だろうがあだ名だろうがキセキの世代だろうがどうでもいい。
そのつもりだったのだが。

「ねえちん。バスケ部の皆の名前覚えたー?」
「とりあえずスタメンの人達は憶えたよ」
「じゃー主将から」
「え…えっと、岡村先輩、福井先輩、劉先輩、氷室先輩。で、紫原くん」

多分だけど、オレの違和感はここにあると思った。
それを確認するために、オレは岡ちんを指差しながら彼女に順に名前を言うよう求める。
全員苗字に『先輩』が付けられている中で、オレは同学年だからということもあって苗字に『くん』付け。
別に何処もおかしい所はないし、多分誰に聞いても間違いじゃないと答えるだろうけど。
勿論彼女が名前を間違えた訳じゃないが、やはり引っ掛かりはここだった。
オレだけ『くん』付け。ある意味特別扱いではあるが、クラスに行けばそれは特別でも何でもなく効力を失う。
けれどもし、彼女が苗字に『くん』を付けるもの以外で呼んだとしたら。

「ねえ、なんか別の名前で呼んでみてよ」
「っえ?」

唐突すぎる言葉にちんは困惑した表情で驚く。
別に今ここで新しい呼び方を考えてと言ったつもりはないのだが、彼女はうーんと唸り声を上げた。
そんなに考えなくても、何か出てくるはずなのに。
前にふざけて友達が「まいう棒」なんて呼んだ時は思わずヒネリつぶしちゃったけど。
考え込む彼女の横顔を見つめていれば、彼女はハッと顔を上げて。

「あつし」

その名前にオレの方が思わず瞠目する。
彼女の顔を見れば今出てきた言葉に気が付いていないかのようで、未だに何かを考えていて。
室ちんくらいにしか呼ばれない名前だが、彼女に呼ばれると何だか。

「あ、いや、ああ、っとそうだ!むっくん!」

ようやく自分が無意識でそれを呟いていたことに気が付いたのか、彼女は慌てて別のものを口にした。
むっくん、そう言えば帝光の時によく呼ばれていた気がする。
あと女子もたまにそう呼ぶ時もある。誰がなんていちいち憶えてないけど。

「で、呼び方がどうしたの?」
「………………や、何でもねーし」
「へっ!?」

何だし。そのびっくりした顔。変なかおー。
彼女の柔らかそうな頬を摘まんで引っ張ったら面白そうだなと思ったけどやめる。
それより何よりオレも彼女にそう言われて何となく馬鹿なことをしているなと気が付いた。
そうだ。呼ばれ方には別に拘ってない。だから彼女がオレをどう呼ぼうと関係ない。
他の人と同じだけど。それが癪に障るけど。

練習再開の声が掛かって、オレはさんの傍を離れる。
あーあ、まだあと2時間もある。動くのはダルいけど、練習はサボりたくない。
部内で張り合っても、あんまりやりすぎると雅子ちんが怒るし。
早くもっと全力で――

「むっくん」

キュ、っとバッシュが鳴る。
自然と止まったオレの足が床を擦って出たものだ。
首を巡らせて振り返れば、彼女がはにかむような柔らかい笑みを浮かべていて。

その日からオレはさんからむっくんと呼ばれるようになった。


【あとがき】
ちょっとした彼の最初の心の変化として、まず負けず嫌いであるゆえに他の人と差をつけたかったと言う事。
そんな訳でちょっと特別扱いをして欲しいなと言う意味だったのですが、うちの鈍ちんヒロインは気付かなかった(笑)
勿論自分の口からそれを言うのはなんか違うと思ったので、もういいやって事だったのですが。
最終的にはまあちょっとだけ進歩したかなって感じですね(苦笑)
初々しいって素敵!

[2013/11/13]