カラン、とグラスの中に入った氷が音を立てて、グラスの周りについた水滴がぽたりとテーブルに落ちる。
かれこれそんなグラスばかりを見つめて10分くらい経っただろうか。
私はただただ緊張していて、多分険しい顔をしていたのだと思う。
とうとう、目の前に座っていた彼、氷室先輩は耐えきれないとでも言うように笑い出した。

「先輩…」
「や、あのっ…はは、ごめんっ…さんがあまりにも可愛いからつい」
「またそういう…」

歯の浮くような台詞というか。
この人に可愛いと言われたのはもう3回目だ。
そう、私は今、この氷室先輩とデートの真っ最中。
デートと言ってもこれは以前私が洗濯を手伝った時のお礼、というだけであって。
私が彼とお付き合いしているという訳では決してないという事。
氷室先輩は余程面白かったのか、目じりに溜まった涙を指先で弾くと、コーヒーを手に取ってそれを一口含んだ。

そもそもに何故私が汗を掻くグラスを眺めていたかと言えば。
スポーツ店に寄った後、氷室先輩は約束のお茶をご馳走すると言ってシックな喫茶店に連れてきてくれて。
まあ当然、男女2人と言うことでこじんまりとしたボックス席に案内され。
向かい合わせに座ったところで氷室先輩と対面という事に改めて恥ずかしさを感じ。
運ばれてきたアイスティーに口を付けることも躊躇われて10分間、顔を上げられないせいで汗を掻くまで放置した結果。
それを眺め続けていて今に至る、という訳だ。

「アイスティー、氷が溶けて薄くなっちゃうよ?」
「……………いただき、ます」

ああ、お願いだからそんなに見つめないで欲しい。
ストローを唇で挟んだところで、ちらりと氷室先輩を見やる。
彼はじっと私のことを見ていて、結局一口飲み込むだけで精一杯だった。

「先輩ひとつ、いいですか?」
「どうぞ?」
「失礼だったらすみません。氷室先輩って、彼女、いないんですか…?」

これを聞いておかねば最早飲み物ですら喉を通らない。
とにかく氷室先輩は目立つ。
きっと廊下でのやり取りだって、すぐに噂になることだろう。
明日を思うと気が重いが、問題はこの後の彼の返答次第で更に深刻化する。
この席に着いて初めて先輩をじっと見ると、彼はくすりと笑って少し身を乗り出した。

「どう思う?」
「…質問を質問で返すんですか?」
「ごめん意地悪だったかな」
「かなり」
「冗談だよ。彼女はいない」
「本当ですか?」
「本当に」

目を反らさず真っ直ぐ見返す氷室先輩からはからかっているような雰囲気は感じられず、恐らくそれは嘘ではないという事が窺えた。
のはいいのだが。

「(彼女いたらいたで困るけど、いないはいないで噂が怖い…)」

どちらにせよ、結局は私にとって不利に転ぶのだろう。
そんな私の心境とは裏腹に、ちらりと先輩を見上げれば彼はにこにこと笑っていて。

「…楽しそう、ですね。先輩」
「うん。楽しいよ」
「そうですか…」
「ごめんね、アツシじゃなくて」
「………は、い?」

にこにこ。
彼の表情は崩れない。
今氷室先輩はなんと言っただろうか。
アツシじゃなくて?どういう意味?

「アツシがお菓子の事以外で女の子と話してるのが珍しくて」
「……彼は、紫原くんは普通に教室でも女子と話してますよ?」
「へえそうなんだ。でもそれは本当にお菓子の事以外?」
「授業の事とか、そういうのもあると思いますけど」

四六時中紫原くんを見ている訳ではないから、彼がいつどこで誰となんの話をしているかなんて把握していない。
ただこの間、たまたまクラスの女子生徒の声が一際大きく目立っていて。
興味本位でそちらを見れば、紫原くんを囲んで女子が何かをしていた。
多分雑談だったのだろうと思う。
「うそー紫原くんってこういうのが趣味なんだー」「よく分かんねーし」「え、でもこれが好きなんでしょ?」「この中ならねー」。
そんな会話をしていたと思う。
雑誌を見ていたのだろうか。何かを覗き込みながらこれとかあれとかそんな言葉が聞こえた。

「へえ。アツシが、ね」
「氷室先輩、あの」
「お待たせしました。こちらケーキセットになります」
「…っ、えっ?」

突如会話を割って入ってきたのはウェイトレスさんで。
彼女は私の方にケーキセットを置くと、にこり、と笑みを残して立ち去っていく。
え、今の微笑み何。素敵な彼氏さんですね的な微笑み何?って言うかケーキセットなんて注文していない。

「さ、食べて?」
「えっ、あの、もしかしてこれ」
「奢りだよ」
「えええっ」
「ん?」

そういう憂い顔も美しいですね。
って、違う。そういう事を言いたかった訳じゃない。
私の前に置かれたのはチョコのブラウニー。
とても美味しそうだし好きだけど、私が注文したのはこのアイスティーだけで。

「あの、せんぱい…」
「この間のお礼は、こっち。今日の付き添いのお礼は、これ」

こっち、と指さされたのはアイスティー。これは先日のタオルのお礼。
そしてブラウニーは、今日付き合った分のお礼だと言う。
付き合ったも何も、アイスティーをいただいた時点でそれは時効な気もするのだが。
「貰って?」と微笑まれてしまえばやはり私は何も言い返せないし。

「いただき、ます」
「うん。素直が一番」

断るのも申し訳なかったので先輩の好意を受け取ることにした。
あ、これ美味しい。

「キミってさ」
「はい」
「アツシのことよく見てるよね」
「げほっ」

変なところにブラウニーが入ってしまった。
私が咳き込むと先輩はそっとアイスティーを差し出してくれる。
素直にそれを受け取って流し込み、私は彼をじとりと見やる。

「ど、どういう」
「ああ、ミーハーだとか、そういう意味じゃないから安心して欲しい」
「は、あ」
「ほら、アツシってああいう性格だろう?オレは気にしてないからいいんだけど、周りがどう思うか」
「あー…はい。何となく言いたいことはわかりました」

彼は多分、紫原くんのことを心配しているのだと思う。
紫原くんは無意識なのだけれど、割と喧嘩腰と言うか。
いや、本当に彼に悪気はないはずなのだが、敵を作りやすいと言うか。
彼の事を詳しく知らないから分からないが、そういう印象を受ける。
けれど。

「ただ私は…」
「?」
「紫原くんが怖いとは感じないですけどね」

多分彼は少し不器用なだけなのだと。
そう思っていた。


【あとがき】
引き続き氷室さんとのデート。
笑顔で強引かつスマートそう、という私の勝手なイメージです(苦笑)
テーブルに肘をついての憂い顔とか絶対美しいでしょうね。絵になりますよね。
とりあえずイケメン前にしたら緊張で何も手に付かなくなりますね、私は。

[2013/10/22]